2015年8月15日土曜日

No.066(ガリレオの生きた時代①)

今回から何回かに分けて、ガリレオ=ガリレイに関するものを送ります。
お楽しみに!!
ガリレオの生きた時代㈰

1600年という年になりました。
新しい世紀が幕をあげ、それと同時に、世界中に様々な変動が生まれた。それまで、ス
ペインは世界最強の軍隊を誇っていた。しかし、1588年のイギリスとの戦いで、ス
ペインの無敵艦隊は完全に敗北した。フランスは勢いを盛り返し、最新の大砲や戦争用
の機会を備えた強大な軍隊を作りつつあった。
イギリスとオランダは、世界中で、もっとも強力な海の支配者となった。イギリスの船
は、新世界を目指して広大な大西洋を航行し、オランダの艦船は、インドや、東インド
諸島に新しい富を発見しようと東に向けて旅立っていった。

人々の心の中にも重要な変化が起こりつつあった。ヨーロッパでは、宗教的な考えが2
つに大きく分かれようとしていた。ヨーロッパの大部分には君主や王侯の支配する多く
の小さな独立国家がひしめいてはいたが、キリスト教についてはただ一つの形しかな
かった。宗教的な考え方のリーダーは、イタリア法王領の首都であるローマにいた。こ
のリーダーは法王と呼ばれ、宗教だけではなく、政治的な面でも多くの国家に大きな影
響力を持っていた。

1517年に、マルチン=ルーテルというドイツ人の僧が、ローマ法王の宗教的な考え
方の一部を改めるための運動をはじめた。ルターは法王庁に抗議する(プロテスト)こ
とを表明したので、彼や彼の仲間たちは抗議者(プロテスタント)と呼ばれた。ヨー
ロッパにある小さな国、特にドイツの王侯の中には、彼の運動に加わるものが多かっ
た。1600年までにプロテスタントの勢力が強くなり、世界的に大きな影響力を振る
い始めるに至った。

この時代は不思議な時代だった。多くの場合、ある人の宗教的な考えは、その人がどこ
に住んでいるかによって決められたのである。もしその人が、プロテスタントの意見に
賛成の王が支配する国に住むのなら、その人はプロテスタントになった。ところが、そ
の王が考えを変えて、昔どおりに法王の考えに賛成する態度をとると、その国の人民も
同じ意見に変わるという風だった。

ローマにいるキリスト教の指導者たちは、プロテスタントの反抗を揺るがしがたい邪宗
的な態度だと考えた。彼らは、その反抗が自分たちの宗教的、政治的権威を犯すもので
あると受け取り、それを打ち負かそうとした。彼らの武器の一つに、検邪聖省(法王庁
の役所の一つ。キリスト教の教理に反する信仰や、考え方を取り締まる。)という組織
があった。ローマ方王に忠誠を誓う国の大きな町には、審問官と呼ばれるものが必ず一
人は置かれていた。

その男の役目は、ローマ法王が、認めた宗教的な考え方に反対するものを探し出すこと
であった。そういう反対者は、見つけられると、牢屋に放り込まれ、厳しい質問を受
け、しばしば拷問にかけられ、その上で裁判にまわされた。多くの場合、命さえも奪わ
れてしまうのであった。
ガリレオが検邪聖省の力に気がついたのは、新しい世紀が始まった年だった。

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