失われてしまった創業のこころ
黒澤 酉蔵 雪印乳業(株)創立者 (1998年3月 掲載)
「健民は健土より、健土は愛土より」
「神を愛し、人を愛し、土を愛す」
わが国乳業界のトップメーカーであり、北海道に生まれた代表的な企業である雪印乳
業(株)は1950(昭和25)年に発足しました。その前身は1925(大正14)年に設立さ
れた北海道製酪販売組合(宇都宮仙太郎組合長)です。デンマークの協同組合にな
らったこの組合の創立に、その理念と情熱を注いだのが専務に就任した黒澤酉蔵
氏です。
黒澤氏は、1885(明治18)年、茨城県久慈郡世矢村(現・常陸太田市)に生まれまし
た。その生家は、黄門様で知られる水戸学発祥の地である西山荘の間近にありまし
た。
この西山荘で修学した人たちは "水戸っぽ" といわれ、闘志あふれた気骨の激しさ
を真骨頂としていました。そうした環境のなかで成長した黒澤少年は、青雲の志を抱
いて上京。書生をしながら英語学校に通い、やがては海軍兵学校への進学をめざして
いました。
ところが、1901(明治34)年、田中正造が足尾銅山の鉱毒を直訴するという事件が起
こりました。このとき、黒澤少年の全身に熱血が沸き立ち、衝動抑えがたい思いで田
中正造の宿へ訪ねて行ったのです。田中翁は見知らぬ少年を快く迎え入れ、事件
の真相や経緯を聞かせてくれました。代議士の栄職を投げ打って農民や漁師のた
めに身を捨てた田中正造の崇高な正義感と人間愛に接した黒澤少年は、みずから
も農民のために立ち上がり、災害地学生視察団に加わったのち学生鉱毒救済会を
組織し、鉱毒根絶の農民運動のために奔走し、またたくまに青年同志友愛会を結成
したのです。
しかし、そうした運動に治安当局の弾圧が激しくなり、ついに未決のまま投獄されて
しまいます。
そのとき、鉱毒地救済婦人会長から一冊の聖書が獄中に差し入れられました。しか
し、尊皇攘夷の伝統思想を持つ水戸っぽには興味の薄いものでしたが、出獄後、田中
翁に伴われて内村鑑三も師事したといわれる新井奥遂の門をたたき、キリスト教の
「愛」の教義を学んで、のちに入信する素地を身にします。
鉱毒運動の裁判で無罪となった黒澤氏は、心機一転、1905(明治38)年に北海道
に新天地を求め、札幌の宇都宮牧場に見習い牧夫として働きます。そして、4年後
には山鼻東屯田に牧場をもって自立、酪農業一筋の道をスタートするのです。日本メ
ソジスト札幌教会で洗礼を受けたのもこの年です。それは、宇都宮氏が熱心なクリ
スチャンであったことによりますが、その教会で良き友・佐藤善七氏(現・佐藤貢雪
印乳業相談役の父)を得て、北海道酪農の三巨星といわれるこの人たちによって製
酪販売組合を創立したのです。
このころから、デンマーク農法の研究を始め、北海道の半分の面積、土地は痩せ、天
然資源の少ないヨーロッパの小国が、実り豊かな、そして農民の生活水準も高い農業
国になったことを知ります。それを実現したのは地力培養農業であり、貧しい農民の
協同の力にあったのを痛感したのです。
水戸学の思想が骨子にあり、「国土の尊厳を破壊し蹂躙するは亡国の始めなり」とい
う田中正造の叫びによって磨かれた黒澤氏の「健土健民」という国土尊重主義は、や
がて北海道開拓構想の明確な理念となります。
こうした礎のもと、戦後、雪印乳業(株)がスタートし黒澤氏は相談役となり、自ら
は北海道の酪農振興に全力を尽くします。それと同時に「神を愛し、人を愛し、土を
愛す」という三愛主義を産業教育の建学精神とし、酪農学園大学、旧野幌機農高校・
旧三愛女子高校(ともに現とわの森三愛高校)を創立します。
不毛の地・根釧原野を酪農王国といわれるまでにしたパイロットファーム事業をはじ
め、北海道開発の焦点となった事業、施設、法律や制度のほとんどを手がけた黒澤氏
は、約一世紀に及ぶ生涯を北海道の土づくり、人づくりのために捧げました。
●牛乳中毒:
「雪印低脂肪乳」でおう吐や下痢 大阪市が回収指示 (2000.06.29 毎日新聞)
大阪市は6月29日、雪印乳業大阪工場(大阪市都島区都島南通、下野勝美工場
長)で製造された「雪印低脂肪乳」を飲んだ人が、おう吐や下痢、腹痛などの症状を
訴えており、製造・販売の自粛と製品約12万5000本の自主回収を指示したと発
表した。これまでのところ、食中毒の原因菌は発見されておらず、同市は異物混入の
可能性もあるとして大阪府警科学捜査研究所に鑑定を依頼した。被害は大阪府と
兵庫県、和歌山県の1府2県で計64人。同市は28日夜に商品回収の指示を出し
ながら、「原因が特定できない」などの理由で29日午後まで公表しておらず、被害
者はさらに増える可能性がある。症状はいずれも重くないという。
各府県の保健局によると、被害は大阪府35人▽兵庫県3人▽和歌山県26人。
●雪印乳業:
「会社の体質、問題あった」 社内調査結果発表 (2000.12.22 毎日新聞)
1万3420人の被害者を出した雪印乳業の乳製品による集団食中毒事件で、同社の
西紘平社長は22日、東京都新宿区の東京本社で会見。事件発生直後の対応につい
て、前社長ら当時の幹部が消費者に注意をうながす社告掲載を決断せず被害を拡
大させたとする社内調査結果を発表し、「情報の伝達など当たり前のことを当たり前
にやれない会社の体質に問題があった」と陳謝した。
「効率性追求のため、品質管理を軽視した。いつしか、企業体質が変容してしまっ
た」。22日、集団食中毒に関する社内調査結果を記者会見して発表した雪印乳業
の幹部は、最後は声を震わせた。調査では、会社全体の安全性への低い認識が明
らかになり、西紘平社長らは陳謝を繰り返す一方、旧体制への決別を強調した。
発生後の対応の不手際が指摘されている石川哲郎・前社長ら当時の幹部が、刑事処
分を受けた場合の対応について、西社長は「内容にもよるが、当然、社内の処分は厳
正にしたい」と明言した。そして、「幼稚な意見で恥ずかしいが、実態を正しく伝
え、きちんと聞くという原点に戻らなければ雪印は改革できない」と、再建への決意
を語った。
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