決して口には出さないが心の中でつぶやく呪文のような言葉がある。
それは短い言葉だが時や状況によって変化してきた。ふっとその言葉が音楽のよう
に鳴り響き自分を支配してしまい、歩き方やしゃべり方、顔つきまで変えてしま
う。
小学生の時、東京から大阪に転校した。言葉のギャップからか、性格からか、いろい
ろなことで悪目立ちしたようだ。
けんかやいざこざ、事件が起こるたびに、そこには必ず私がいた。
その頃、鳴り響いていた言葉は「平凡に、平凡に」だった。
とにかく目立たずに、波風おこさず、無事に一日を終えることがテーマだったのかも
しれない。
反抗期には「なめんなよ」という言葉が鳴り響いていた。
「やさしく やさしく」という時代があったり「Let it be」なんていう時代も
あった。どれもたわいもない言葉だが自分の生き方に結びついていた。
生き方というのは、私の場合、他者とどうかかわるかだ。
「なめんなよ」時代は、きっと嫌な奴だったろう。そういうときは、つきあう人間達
も似たもの同士が集まってくる。
勝手なことをしておいて、責任逃れのためにほっておいてくれと叫んでいた。
あたかもそれが自由だと勘違いして……。
「優しく」時代は、一見好ましい人に写ったことだろう。しかし、甘い言葉で他人に
取り入って、その実、自分に優しくしてもらいたかっただけの、ただの寂しがりやに
過ぎなかったのかもしれない。ましてや他人との分かり合えるなんてことは、幻想に
近い気がしていた。
しかし、共感することができる。それを教えてくれたのが演劇だった。
芝居は一人では作れない。いろいろな人々が集まってチームができて、見る人間がい
て初めて成り立つ。当たり前のことだが、このことに気がつくのにずいぶんと時間が
かかった。
演劇を始めた頃はとにかく目立って、驚かして、人よりうまくやればいいと思ってい
た。
他者よりも自分が抜きん出ていることの証明のために、芝居を利用した。
いつも「負けるもんか」が鳴り響いていた。
子供の頃から培われた競争のしくみを演劇に当てはめていただけだった。人よりもい
い点を取って、いい学校には行って、いい会社には行って、いい給料をもらって、い
い家に住んで……。
確かにこういう欲望は人を動かすかもしれない。
勝った負けたに一喜一憂し、次の競争に新たなファイトを燃やす。常識やら、責任と
いうことにあまりにも無縁すぎたのだ。しかし、Aさんはじっと我慢していた。
その間にも環境作りを徹底的に行っていた。ギブ・アンド・テイクのはずが、ギブ
・アンド・ギブばかりだった。
公演も行ったが、そこそこの成果しかあげられなかった。拍手をもらってもうれしく
なかった。
私の中で何かが終わった。
創り出す意欲が失せ、それを他人のせいにした。
井戸が涸れて、汲んでも汲んでも砂や石ころだらけだった。
しかしAさんは出会いを大切にする人で、そんな私を見捨てなかった。
むしろ裏切ったのは私の方だ。
私は退団した。
しかし辞めたおかげで、逆にいろいろなことが見えてきた。仲間がいるというこ
とはどれだけ素晴らしいことか、やろうと思えば何でもやれる場があることは、
どれほど尊いものか。
そんな可能性だらけの、かけがえのない時間の中に生きていること。
辞めてからすぐに、音楽座からの依頼があった。私は素直にやりたいと思った。
そして組織も大きく変わろうとしていた。
名称も劇団音楽座から、劇団を取った音楽座に変わりアクターズだけのチームにな
り、作品の企画制作をヒューマンデザインが行うことになった。
そんな体制になって出来上がったのが「シャボン玉とんだ宇宙まで飛んだ」だった。
これが今の音楽座のミュージカルの新しい出発点になった。
いかなるチームを作り上げるかがいつも課題だった。一度うまく行ったからといっ
て、そこに甘んじてとどまりはしなかった。パターンになることを恐れていたから
だ。自分たちの活性化のために、常に努力し変化させていった。平坦な道はなく、
いつも山あり谷ありだった。しかし、前へ前へと進んでいった。
「やれば出来る」
そんな言葉が、事務所にも稽古場にも気配として充満していた。
私は座付き作家兼演出家として、共に仕事が出来て幸せだったと思う。
本当に多くのことを学ばせて頂いた。
エゴに生きるよりも他者のために生きた方がよっぽど楽しい。
人に役立つ思いは必ず実現する。
何かを変えたかったら自分自身を変えること。
出会いを大切にし相手を受け入れること。
自然の中で生きている自分という天然資源を無駄に使わないこと。
どれもこれもシンプルで、当たり前のことかもしれないが、私にとっては意味深い。
音楽座の素晴らしいところは変化することに柔軟であり、かつ積極的だったところ
だ。
世の中の変化に対して敏感に反応し、今という時を大切にし芝居の中に反映させ
ようと試みた。
とても残念なことではあるが、その音楽座も解散する。
これもひとつの変化なのであろう。
私が演劇を始めてから、世の中も様々に変化してきた。とどまっているものは、何
ひとつない。
無常であることを無情ととるか楽しいこととしてとらえるかで未来が変わっていく。
文句やぐちもこぼしはするが、その前にやるべきことがある。文句やぐちの大半の原
因は自分にあるのだから。
恨みや憎しみからは何も生まれない。無益な争いを作り大切ななにかを壊すだけだ。
チームとは何だろう。
自分の生きていく、場のことなのかもしれない
それならば、私達は生まれたときからチームに属している。家族もチームだし、学校
も会社もチームだし、日本という国もチームであり、地球に住む生命体としてもチー
ムの一員なのだ。未来がどうなるか、先のことは誰にもわからない。
だた、自分がどうしたいかで変わっていく。
口に出さない呪文のような言葉が破壊やごまかしの言葉であってはならないと思う。
演劇という、素晴らしいものに巡り会ったチームの一員としても。
★横山 由和(よこやま よしかず) 脚本家・演出家
桐朋学園大学演劇科を卒業後、1977年に劇団音楽座を結成。『ヴェローナ物語』『森
林幻想曲』『組曲・楽園』『闇夜の祭り』『夢の降る町』等のミュージカルの脚本・
演出を手がける。
88年音楽座を退団。以降、音楽座解散まで、座付き作家兼演出家となる。主な作品に
『シャボン玉とんだ 宇宙(そら)までとんだ』『とってもゴースト』『アイ・ラブ
・坊ちゃん』『マドモアゼル・モーツァルト』『星の王子さま』等。また、83年より
98年までNHK『おかあさんといっしょ』の構成を担当。
96年4月の音楽座解散に伴い、Stepsエンターテイメントを結成。
主な受賞作品
1989年 文化庁芸術祭賞(受賞作品『とってもゴースト』)
1991年 第25回紀伊國屋演劇賞(『シャボン玉とんだ 宇宙まで飛んだ』、『とっても
ゴースト』の脚本・演出に対して)
1994年 第1回読売演劇大賞優秀作品賞(受賞作品『アイ・ラブ・坊ちゃん』)
1995年 第2回読売演劇大賞優秀作品賞(受賞作品『泣かないで』)
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