研究を捧げきったキュリー夫人
マリー・キュリー(1867〜1934年)は、夫ピエールと共に新元素ラジウムを発見して
ノーベル章を受賞した、女性科学者である。
彼女はもとポーランド人で、はにかみ屋の娘だった。しかし、貧苦の中で忍耐強い研究
を重ね、学会で不可能と見られていた大発見をなした。
彼女は、ノーベル賞を二度受けている。一度目は、1903年にノーベル物理学賞を、二度
目は、1911年にノーベル化学賞を。
彼女の生活は、日本流に言えば「赤貧洗うがごとし」であった。幾日も、サクランボ少
しと、ダイコン一束だけで過ごしたこともある。
ピエールと結婚した時も、財産といえば二人合わせて自転車が二台——それだけだっ
た。新婚旅行は、その自転車を連ねてフランスの田舎をまわることだった。
そんな貧苦の中で、キュリー夫妻は研究を重ね、ついにウラニウムの二〇〇万倍も強力
な放射能を持つ新元素ラジウムを発見した。この物質の出す放射線は、木材を通過し、
石材を通過し、鋼鉄も銅も通過する。通過をさえぎるのはただ一つ、鉛の厚い板だけで
ある。
利用方法は、いろいろ考えられたが、最も重要なのは、ガンの治療に有効なことがわ
かっていたことだ。だからラジウムの需要は、この先どんどん伸びるだろう。
その製法を知っているのは、キュリー夫妻だけである。もしラジウム抽出法の特許をと
れば、世界中どこで生産するラジウムからも、権利金がとれる。
あるいは、ラジウムを生産して売り出せば、当然金がもうかる。営利会社に製造させて
そこから権利金を取り立てたとしても、誰ひとりキュリー夫妻を責める者はいなかった
ろう。
もう、あの貧乏から解放されるのである。億万長者になることも夢ではない。一家は経
済的に安定するし、自分で苦労して働く必要もなくなる。立派な研究所を建てて、さら
に研究を進めることもできる。
ところがキュリー夫人は、この道をとらなかった。
「そんなこと、できるもんですか」
と彼女は言った。
「そんなことをしたら科学的精神に反します。それに病気の治療に使うのでしょう。病
人の足元につけこむなんて、できやしません」。
いかにも無私無欲の彼女らしい答えであった。
これは、権利金を受け取ってはならないということではない。しかし彼女は、自分の研
究を病人のために捧げきりたかったのである。
彼女は、富豪になることよりも、人々のための奉仕の生涯を選んだ。奉仕と研究こそ
が、彼女の幸福だったのである。彼女は言っている。
「あのあばら家の床板もない所で、貧乏に負われながら必死に研究を続けた頃——あの
頃が、いちばん幸せでした」。
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