熱誠は道を開く
勝海舟は、幕末期、幕府代表として、倒幕派の西郷隆盛との談判に巧みに応じて
、江戸城の無血開城を実現。大きな混乱もなく、徳川時代から明治時代への橋渡し
をした人物である。
その勝海舟が、まだ若き幕臣だった頃のこと、これからは広く知識を海外に求める
べきだと考えて、彼は蘭学(オランダの学問)を志した。
彼が二五歳のころ、日本橋を歩いていると、本屋に『日蘭辞典』全五八巻が売りに
出ているのが目に留まった。これは、蘭学の勉強には欠かせない本だ。
しかし、いくら欲しくても、それを買うだけのお金は到底ない。ただ指をくわえて眺め
ているしかなかった。
来る日も来る日も、日本橋にいっては眺めているのだが、そのうちに売れてしまった。
たまらず海舟は、店に飛び込み、その『日蘭辞典』を買った人を聞き出した。買ったの
は、麻布に住む赤城玄意(あかぎげんい)という人物だった。
海舟は、さっそく玄意を訪ね、『日蘭辞典』を一目見せてほしいと頼んだ。最初は断っ
た玄意だったが、海舟の三拝九拝の熱意にほだされて見せることにした。
見ると、目のくらむような知識が詰まっている辞典であった。海舟は、たまらずその一
巻を貸して欲しいと頼んだ。玄意は、ずうずうしい奴と思ったが、海舟があまりに熱心
に、また必死に頼み込むので、一巻を貸すことにした。
海舟は狂喜し、その一巻を家に持って帰ると、寝食を忘れて一字一句をすべて筆写し
た。写すごとに、蘭学の知識が海舟の頭に入っていった。
一巻を写し終えると、二巻目を借りた。それが五巻目、一〇巻目となると、玄意はもう
海舟のことを、ずうずうしい奴とは思わなくなっていた。かえって海舟を応援するよう
になっていたのである。
海舟は、じつはこのとき、各巻を二部ずつ筆写していた。全五八巻を二部ずつ、す
べて筆写し終えたとき、一年半の歳月が過ぎていた。彼は一部を自分の勉強用に
使った。もう一部は売りに出した。それは大変な値段で売れた。
海舟は、そのお金を、玄意への謝礼となしたのである。
熱誠は道を開く。明治維新の大業を成し遂げたのは、こうした一人一人の熱誠であっ
た。困難が山のように自分の前に立ちはだかるとき、「この山はどうやったって動かな
い」と思ってあきらめるか、それとも「山であっても動くのだ」と思うかで、人生に違
いが出てくるのである。
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