2015年8月15日土曜日

No.068(子どもの自由と芸術家の自由(岡本太郎))

子どもの自由と芸術家の自由(岡本太郎)

ここでもう一つ考えねばならないこと、それは、子どもの絵と、すぐれた芸術家の作品
との根本的なちがいについてです。
子どもの絵は、確かにのびのびしているし、いきいきした自由感があります。
それは大きな魅力だし、無邪気さにすごみさえ感じることがあります。しかし、よく考
えてみて下さい。
その魅力は、われわれの全生活、全存在をゆさぶり動かさない。——なぜだろうか。
子どもの自由は、このように戦いを経て、苦しみ、傷つき、その結果、獲得した自由で
はないからです。
当然無自覚であり、更にそれは許された自由、許されている間だけの自由です。
だから力はない。ほほえましく、楽しくても、無内容です。
小さい子どもは何をしても許される。どんなものをかきなぐっても、頭をなでられ、い
い子いい子、よくできた——なんて、ほめられる。
自分を疑わないし。恥じない。
子どもの自由感は、許されているあいだだけはなひらく。だが成長するにしたがって、
まちがいなくうちくずされ、ひしがれてしまいます。
すでに小学校高学年になると、自他を意識しはじめ、もう子どもではないんだ、と内と
外の両面から制約が強くなり、ほとんどの子どもの絵は自由感を失ってしまうのです。
ところで、優れた芸術家の作品の中にある爆発する自由感は、芸術家が心身の全エネル
ギーをもって社会と対立し、戦いによって獲得する。
ますます強固におしはだかり、はばんでくる障害を乗り越えて、うちひらく自由感で
す。抵抗が強ければ強いほど、はげしくいどみ、耐え、そのような人間的内容が、おそ
ろしいまでのセンセーション(感動)となって内蔵されているのです。
優れた芸術にふれるとき、魂を根底からひっくり返すような、強烈な、あの根本的驚
異。
その瞬間から世界が一変してしまうような圧倒的な力はそこから来ているのです。

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