2015年8月16日日曜日

No.103(永遠の書)

永遠の書

 1840年代のヨーロッパは、新約聖書に対する批判が最高潮に達した時でした。
当時の学者たちは、新約聖書のほとんどすべてはキリストの弟子たちや使徒たち
によって直接書かれたものではないと主張していました。
 当時のこの風潮考濃憾に思っていたコンスタンチン・ティツシェンドルフは、新約聖
書に対するこの不信感を打破する唯一の方法は、新約聖書の古い写本をできるだ
け多く捜し出して、その時代的な裏付けを科学的にすることだと考えました。
 そこで彼は中近東地方を何回となく旅行し、古い写本を見つけるとそれを写して
出版しました。彼がシナイ山麓の聖カタリナ修道院で、新約聖書全巻の最古の写
本を発見した話は有名です。
 またパリの図書館に通って写し取ったエフライム写本などは、写したい肝心の部
分がほとんど消してあって、その上に古い説教文が書き込まれていたので判読す
ることは大変な仕事でした。
 毎日古文書と取り組むこの仕事は、やがて彼を盲目にしてしまいました。しかし
彼は息子に手紙を送り「私がこの目を新約聖書が受け入れられるためにささげたこ
とを感謝する。私に六つの目があったとしても、それらを全部この仕事のためにささ
げたことであろう。」と書きました。
 このような努力と犠牲によって、聖書は考古学的にも、いにしえの預言者の時代
、使徒の時代に書かれたものであることが証明されていったのです。

0 件のコメント:

コメントを投稿