コーヒーカップの上の祈り−キング牧師
1950年代前半にアメリカ南部のミシシッピー州のマニーという町でひどい事件が
起きました。北部のシカゴから来た黒人少年エメット・ティル少年が、白人女性に
声をかけたために白人の男性によって殺害されたのです。
裁判が行われましたがティル少年を殺した白人の男性に対しては無罪が言い渡さ
れました。アメリカ全土に衝撃が走りました。
アメリカにはこのようなどうしようもない差別があったのです。このような暴力的
な差別が平気で行われるアメリカで非暴力という武器で差別に闘いを挑んだのが
マーティン・ルーサー・キング牧師です。
白人女性に声をかけただけで殺されるような差別の中で、差別と闘わなければな
らない勇気というのは、私たちには想像し難いものです。
彼はいつも命の危険と隣り合わせでした。毎日のように続く脅迫電話。
そしてあるときには、家に爆弾が投げ込まれたことさえありました。
家族に対しての身の危険がいつもありました。しかし、キング牧師は差別に対して
勇敢に戦ったのです。
しかしそんな彼も、どうしようもなく臆病になってしまうときがありました。
脅迫は続きました。ほとんど毎日白人たちが私をばらそうという計画を立てていると
いう話しを、それとなく聞いたといって私に警告してくれました。
ほとんど毎晩私は明日の不安を胸にいだいて床についたのです。
そして夜が明けると、私は妻のコレッタとかわいいヨキを眺めながら一人思ったので
す。
「いつか彼らは私から引き離されるかも知れないし、私が彼らから引き離されるかも
知れない。」これまでコレッタに私のこうした思いをうち明けたことは一度もありま
せんでした。
1月も末近いある晩、私は一日中忙しく働いて夜遅く床につきました。コレッタは
すでに眠りについていました。私がうとうとしかかったとき突然電話のベルが鳴り
ました。電話口からは怒気を含んだ声が聞こえてきたのです。
「聞け黒ん坊 ! ! お気の毒なことだが来週おまえがモントゴメリーにやってくるま
でに、俺たちは欲しいものをことごとくおまえから奪い取ってしまうだろうぜ ! !」
電話は切れたのですが、眠ることは出来ませんでした。
私の心の底の一切の恐怖が一度に表面に飛び出したように思われました。
私はすでに飽和点に達していたのです。
私はベットから飛び起きて床の上を歩き始めましたが、ついに台所へ出かけて
コーヒー・ポットを温めました。私は一切を断念しようとしました。
前に置いたコーヒーカップには触れないで、私は卑怯者のように見られないで、
なんとかうまく運動から抜け出す方法がないかあれこれと考え始めたのです。
勇気がすっかりくじけ去り疲労困憊したこうした状態の中で、この問題の解決を
神様にお任せしようと決心したのです。
両手で頭を抱え込み台所のテーブルの上に身を伏せて声高く祈りを捧げたのです。
この日の深夜、私が神様に語った言葉は今もありありと私の記憶の中に残っていま
す。
「私は、ここで私が正しいと信ずることのために闘っています。しかし、今私は恐れ
ているのです。人々は私の指導を求めています。そしてもし、私が力も勇気もなく彼
らの前に立つならば、彼らも勇気を失うでしょう。
私の力は今まさに尽きようとしています。今私の中には何も残っていません。
私は1人では到底立ち向かうことのできぬところに来てしまいました。」
この瞬間、私は神の御前にあることを感じました。こうした経験は今だかつて決し
てなかったことでした。あたかも、
「正義のために立て。真理のために立て。しからば神は永遠に汝の傍らにいます
であろう」
という内なる声で静かな約束を聞くことができたように思われました。
それと同時に恐怖は消え始めました。
不安は消え去りたとえ何ものであってもこれに立ち向かう覚悟を決める事が出来
たのです。
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