国民を感動させたカナダの青年の“まごころ”
●ガン研究費を集めるため“片足マラソン”に
昭和56年6月29日の読売新聞(夕刊)に、「片足マラソン青年ガンに死す」との
いう記事が載りました。
この青年は、カナダ民間人の最高栄誉である“カナダ勲章”に輝き、記念切手にも登
場するテリー・フォックス君。
ブリティッシュ・コロンビア州に住んでいた彼は、18歳のときに右足が肉腫におか
され、切断しました。しばらくは車イス生活をしていましたが、片足でニューヨーク
マラソンに出場した人の話に感動して、車イスから立ち上がりました。そしてガン撲
滅のための研究費を集めるため、片足でマラソン行脚を始めたのです。
大西洋から太平洋までカナダを東西に横断しようという“希望のマラソン”は、4月
12日から始まりました。彼はニューファンドランド州セントジョーンズの海岸で右
足につけた義肢を海水にひたすスタートの儀式を行ないましたが、そのころはまだ彼
に注目する人は少なかったようです。しかし、全行程の1割に満たないオンタリオ湖
に到着するまで3か月かかったものの、それまでに彼の悲願を知らない国民はほとん
どいなくなりました。
左足1本でスキップするため、左足は極度に疲労しました。右足の義肢もずれて、そ
の顔は苦痛に満ちていたといわれます。それでも9月1日、彼はオンタリオ州・スペ
リオル湖のサンダーベイに到着しました。4か月半かかって5300キロを走破した
のです。が、そのころには足のガンが肺にまで転移し、ついに悲願達成は断念せざる
を得ませんでした。
しかし、集まったガン研究費は、彼の期待をはるかに上回っていました。百万ドルを
集めるのが最初の目標でしたが、これはあっという間に突破。目標を国民1人当たり
1ドル(計2400万ドル)に引き上げましたが、これも軽々と達成しました。
●人類の福祉のために流した血の汗
この快挙に国民は絶賛を惜しみませんでした。郵政当局も、「死後10年経過しない
と、その人物の記念切手は発行しない」という慣例を度外視して、彼の記念切手発行
に踏み切りました。
彼が自身のガンのために永眠したのは、そうした矢先の昭和56年6月28日朝のこ
とです。彼の死を知ったトルードー・カナダ首相は、「彼ほどカナダ国民を勇気づ
け、期待をもたせてくれた若者はいない」と弔意を表明し、連邦政府のすべての官庁
ビルで半旗を掲げるよう異例の措置を命じた、と伝えられています。
ところで、ガンにおかされたとき、右足を切断されたとき、車イス生活をしていると
き、片足のマラソン選手を知ったとき、自ら走っているとき──その時々の彼の気持
ちはどんなだったでしょう。私たちには測り知れないものがあります。
ただいえることは、彼が、自分が味わっている苦しみ、悲しみをほかの人には味わわ
せたくないと考えたに違いないということです。彼はまさに人類の福祉のために血の
汗を流したのです。その悲壮な姿がカナダ全国民を動かしたのです。
1人の人間の真実の心──まごころは、偉大な力をもっています。
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