2015年8月16日日曜日

No.113(自分らしく、奔放に   (現代美術家 谷崎幸三郎))

自分らしく、奔放に   (現代美術家 谷崎幸三郎)

これまで現代美術の抽象的な世界に触れるたびに感じてきたあの「冷たさ」をこの
人の作品にはなぜか感じさせない。じっと見つめていると優しい感覚を抱くと同時に
、ちょっとした懐かしさを覚える。作品の中にある種の無邪気さを感じるせいだろ
うか。
かつて、より「独創的」であろうとして、かえって自己を見失った。色とりどりの
オリコミ広告を一晩水に浸し、ぎゅっと固めて糸巻きにした造形物を無数に作り出し
ていた時期がある。無為にさえ思えるその作業は連日続き、サツマイモのような塊
は日を追うごとに増えていった。
谷口はその頃の自分を「全てに行き詰まり、道に迷っていた」と振り返る。新しい
表現を追い求めているつもりが、いつしか芸術の世界で認められたいがための創作
になっていた、とも。
ほかの人に認められる、あるいは評価されんがための行為は、何であれ精神を消
耗させる。美術家として抱く「もっと自由に」「より純粋に」との渇望とは裏腹に
、個展を開くたびに心と精神は消耗していった。
その苦しみから解放されたのは、聖書の言葉に出会ってからだ。当時はまだ信仰
もなく、むしろ宗教そのものに疑念を抱いていたが、まさに「打ちのめされる」よ
うな自己の内面への衝撃だった。
その衝撃の起点である聖書は、谷口に「自我」を捨てるように迫ってきた。「自分
のために生きるものはそれを失い、かえってそれを捨てる者は永遠の命を得る」とい
う一節が印象的だったという。
自分のスタイルを確立したい、自分だけの表現方法を確立したいという願いが、か
えって自分を見失わせていくことにも気がついた。そして、その「自我」を捨てたと
きに、ようやく「自分らしいスタイル」で描けるようになり、描く行為そのものを楽
しめるようになったという。
たまに芸術仲間から信仰を揶揄(やゆ)されることもあるが、「純粋に絵を描こう
とするなら、信仰がなければ無理だ」という確信は変わらない。


谷口幸三郎
1952年、滋賀県生まれ。東京芸術大学大学院版画科修了。
好きな言葉は、ヘンリー・ミラーの「生きて愛するためには、しかもその絵の具で
表現するためには人は真の信仰者でなければならない。崇拝するものがなければな
らない。」

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