2015年8月16日日曜日

No.140(映画監督 黒沢明)

映画監督   黒沢明

最後まで第一線で活躍
「自分が本当に好きなものを見つけてください。見つかったら、その大切なもののた
めに努力しなさい。君たちは、努力したい何かを持っているはず。きっとそれは、君
たちの心のこもった立派な仕事になるでしょう」

黒沢明監督の遺作となった「まあだだよ」の中で、主人公の老先生が弟子たちに残し
たメッセージです。
1998年9月6日、享年88歳の永遠の眠りについた黒沢明監督の遺作は、弟子た
ちが敬愛する老先生の姿に自分を投影し、私たちに貴重なメッセージを残していって
くれたのでしょう。
スティーブン・スピルバーク、ジョージ・ルーカス、フランシス・コッポラなど、世
界中の名監督に衝撃を与えた「世界のクロサワ」。
より迫力のある雨のシーンを撮るために、墨汁の雨を降らせ、古ぼけた小屋のイメー
ジを出すため、新品の木材を煤(すす)けさせ、ひとつひとつに木目を描かせたり
と、黒沢のだきょうを許さない完全主義と創作欲は、死の間際まで衰えることはあり
ませんでした。高齢の上に怪我を重ねての療養生活の中でも「今はいいモニターがあ
るから、車椅子でも演出できる」と、新しい台本を書き続けていました。最後まで監
督として、第一線で活躍し続けたのです。
「なぜそうまでして映画を作るのか」という問いかけに、彼はこう答えています。
「映画は観客に“生きる力”を与え、人生を鼓舞するものでなければならない。観た
人に一生影響を与えるような映画を作りたい」。
そこから、
「姿三四郎」「羅生門」「生きる」「七人の侍」「赤ひげ」などの傑作が、生まれて
いくのです。

光る才気が見いだされる
黒沢明は、明治40年(1910)、東京の大森に生まれています。
父は退役軍人で体育の教官をしており、武人気質の家庭の姉3人、兄3人の7人兄弟
の末っ子として育ちました。家父長絶対な厳格な父でありながら、頭の古人いではな
かったようで、家族で映画を見に行くようなハイカラな面もありました。
末っ子でおっとりしていたせいもあってか、小学校3年くらいまでの黒沢は、うすぼ
んやりとしていた子供で、よくいじめられていたといいます。そんな黒沢の才能を伸
ばしてくれる先生に出会えたのは、幸運でした。図画の立川先生が、黒沢が力いっぱ
い書いて級友からゲラゲラ笑われる作品を、とてもいいと褒めてくれたのです。それ
をきっかけに、いつのまにか頭の霧がはっきり晴れたように、聡明で利発な子供に
なっていました。
黒沢は絵を描く度にうまくなり、自信がつくと他の学科の成績も伸びて、級長を務め
るまでになりました。「姿三四郎」や「赤ひげ」に出てくる、若者がよき指導者に
よって成長していくモチーフは、こうした体験が下地になっています。中学校を卒業
する頃になって、将来職業として何をするかが問題になりました。
18歳の若さで権威ある二科展に二度入賞し、画家を志して美術学校を受験しました
が、学科で落第。折しも左翼学生運動が猛然と沸き起こり、“アカ”でなければまと
もな青年ではないといわれるような時代となっていました。この無名の青年画家もプ
ロレタリア美術同盟に参加し、数年間地下活動に心身をすり減らしました。
しかし、自分の信念ではなく時代の正義感に熱病のように押し流されたことを悟り、
運動から離れていきます。
画家としてのカットや挿し絵をほそぼそと描いているうちに、PCL(後の東宝)とい
う映画会社の助監督の募集に軽い気持ちで応募してみたところ、大変な競争率の中か
ら、彼の光る才気が見いだされて採用されたのです。

生きた現実のテーマに迫る
映画というものは、いい加減にも作れるし、ていねいにも作れる。ていねいに仕事を
すればそれだけ人の心に残る作品が作れる。
父親の絶対的家父長制の強い家庭に育ったせいか、黒沢は自分の本当に好きなものを
みつけると、その大切なもののために粉骨砕身、絶対に妥協を許さない人でした。撮
影以外では子供のように純真で優しい人が、撮影に入ると震え上がるほど厳しい仕事
の鬼でした。精魂の限りを尽くして作品を生み、終わった後には、魂の抜け殻のよう
に疲弊しきった体を病院で休めることがしばしばだったといいます。
黒沢のカラー映画しか知らない世代には、モノクロの黒沢の映画を見ることをお勧め
したい。そこには語るには尽きない感動があります。脂の乗り切った時代の作品は、
常に社会の生きた現実からテーマを切り取って迫ってきます。「生きる」は官僚腐敗
の指摘、「酔いどれ天使」はやくざ世界の否定、「生きものの記録」は死の灰への抗
議でした。
ロシアの文豪、トルストイやドストエフスキーが愛読書だった彼は、醜悪な現実の中
にあっても常に理想の火を燃やし続けている男たちに、誠実な生き方と勇気ある戦
い、そして愛を、自らの分身として、託し続けているのです。



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