2015年8月16日日曜日

No.121(昭和天皇とキリスト教)

昭和天皇とキリスト教(佐賀新聞より転載)

〈マ元帥天皇の改宗検討〉
連合国軍最高司令官(SCAP)ダグラス・マッカーサー元帥は日本占領時代、民主
改革とともにキリスト教の布教にも努め、昭和天皇の「キリスト教改宗」まで真剣に
検討していた事実が、当時の関係者の日記から確認された。共同通信が入手した、米
プリンストン大図書館収蔵のジェームズ・フォレスタル米海軍長官(当時。後に初代
国防長官)の日記に明記されていた。結果的には、キリスト教の布教は戦後の一時的
なブームで終わり、昭和天皇の改宗問題はこれまで秘話とされてきた。

昭和天皇は敗戦から約三カ月後の一九四五(昭和二十)年十一月、プロテスタント代
表団と懇談、カトリック神父も含め、有力なキリスト教指導者と何度か会見した。
キリスト教社会運動家、賀川豊彦の進講も受けた。戦後いち早く訪米して帰国した女
性キリスト教運動家、植村環が皇后に聖書を進呈し、皇居内で聖書を講義したことも
あった。
四六年七月十日、日本を視察したフォレスタル長官はマッカーサー元帥と約一時間に
わたって会談した。
元帥はその際「天皇のキリスト教への改宗を許可することを幾分考えたが、その実現
にはかなりの検討を要する」と言った、と長官は日記に記した。
元帥はまた天皇について「欧米で言えば、育ちが良くてお金持ちの若い社交クラブ会
員のような人で、軍部に操り人形として利用された」との感想を漏らしたという。
こうした経緯を経て、当時の関係者の間で「天皇はキリスト教徒になるのではない
か」とのうわさが流れた、とGHQ宗教課のウィリアム・ウッダード元調査官は回想
録に書いている。
天皇が改宗すれば、多数の日本国民の入信も見込めるため、キリスト教各派の代
表は天皇との接触を求めて活発に動いた。当時皇居の警護も担当していたエリオット

ソープGHQ民間情報局(CIS)局長の回想録には、ローマ法王庁の駐日大使が天
皇との会見をしつこく要求したいきさつが明らかにされている。
各派の対立を避けるため結局、マッカーサー元帥の判断で「天皇の改宗は行われない
ことで決着した」とソープ准将は書いている。
昭和天皇自身は四八年八月のオーストラリア紙「メルボルン・サン」との会見で「自
分自身の宗教(神道)を体していた方がよいと思う」と言明、改宗の意思を明確に否
定した。
昭和天皇が一時期キリスト教関係者との接触を深め、西洋文明への関心を示したの
は、皇室の存続にプラスになると考えたため、とも理解できる。占領軍当局やキリス
ト教関係者はそうした行動を改宗への〝兆候〟と受け取り、うわさが先行した可能性
がある。
(春名幹男共同通信編集委員)
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〈布教、大統領も承認〉
占領期にGHQが日本で進めた「キリスト教伝道」は、ハリー・トルーマン米大統領
の直接の承認を得て、米陸軍の占領地政策の一環として行われていたことが、同
大統領の関係文書から明らかになった。
米アマースト大のレイ・ムーア教授(日本史)がトルーマン図書館で発見した米政府
文書に明記されていた。
キリスト教布教は、敬けんなキリスト教徒だったダグラス・マッカーサー連合国軍最
高司令官が、個人として積極的に進めたことは知られていたが、実際には米政府の公
式の政策だったことがはっきりした。
当時のケネス・ロイヤル米陸軍長官は一九四九(昭和二十四)年四月二十七日付でト
ルーマン大統領あてにメモを送り、日本では神道が衰退して、米国にとって「宗教的
好機が到来した」と指摘、キリスト教的倫理、文化、政治的理念を「日本社会のすべ
ての階層に普及させる」よう訴えた。
これに対し、トルーマン大統領は「私は喜んでこれを受け入れる」とイニシャル署名
入りメモで答えた。
こうして、占領地政策担当のトレーシー・ボリーズ陸軍次官補が、カトリック、プロ
テスタント両団体の支援と助言を得て、計画を推進した。
これらの文書には、具体的な布教活動の内容や予算額などは記されていないが、
関係者によると、宣教師の派遣や聖書、賛美歌集の印刷、戦災で焼けた教会堂の
再建などが行われた。
日本に入国した宣教師の数は四五—五○年で三千人を突破。さらに、戦前・戦中に使
われていた聖書、賛美歌集が米国でリプリントされ、送られてきた。「賛美歌が君が
代と一緒に掲載されていたこともあった」と関係者は言う。しかし五二年に占領が終
了、キリスト教ブームは冷め、日本国民の間にキリスト教が拡大することはなかっ
た。

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=フォレスタル日記要旨=

フォレスタル米海軍長官(当時)の一九四六年七月十日付日記の関係部分要旨次
の通り。
■マッカーサー元帥は一時間の会話で次のように語った。
1、日本の産業が復興し始めることができるよう、賠償問題では支払額を日本側に明
確に通告すべきだ。
2、彼(マッカーサー元帥)は天皇について、欧米で言えば、育ちが良くてお金持ち
の若い社交クラブ会員のような人で、軍部に操り人形として利用された、と表現し
た。
■天皇のキリスト教への改宗を許可することを幾分考えたが、その実現にはかなりの
検討を要すると思う、と元帥は言った。

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ジェームズ・フォレスタル氏 一八九二—一九四九年。プリンストン大卒。ウォール
街の投資銀行ディロン・リード社に入り、社長を務めた。四○年、ルーズベルト大統
領に請われて海軍次官、次いで海軍長官に就任。四七年新設された国防総省の初
代長官。陸海空三軍間の調整などで苦労し、一年半後辞任。うつ病にかかり、四九
年自殺。
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〈マ元帥、宣教師1000人求める〉
アマースト大教授、レイ・ムーア氏
十九世紀の人間であるマッカーサー元帥は、民主主義はキリスト教の原理から起こっ
たと信じ、キリスト教を日本で布教するよう米国の教会に要請した。一九四五年十
月、彼はプロテスタント指導者に「千人の宣教師の派遣」を求めた。
彼は、ある宣教師あての手紙で「私が日本のキリスト教化を楽しみにしていることを
理解してくれるでしょう。その目的のためにあらゆる努力が行われている」と書い
た。また五○年には、「キリスト教会は過去五百年間日本で、今ほどの好機に恵まれ
たことはなかった。・・・日本はキリスト教なしに民主主義になり得ない」とも書い
た。
彼は、皇居内の情報源にも勇気づけられて(昭和)天皇自身がキリスト教に改宗する
だろうと確信した。事実、彼は福音伝道師ビリー・グラハム師に対して、天皇はキリ
スト教を日本の公式宗教にしてはどうかと申し出た、と語ったという。一部の学者
は、こうしたマッカーサーのキリスト教への熱意の証拠を取り上げず、ワシントンの
支持がなかった、と言う。
実際には、統合参謀本部は一九四五年、正式に布教への支援を承認し、一九四
九年、ケネス・ロイヤル陸軍長官とトルーマン大統領は「日本における宗教的好機」
を利用するというマッカーサー元帥の政策を支持した。その後マッカーサー元帥は、
自分は「米国の兵士であると同時に神の兵士だ」と述べた。

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レイ・ムーア氏 米アマースト大教授。1933年生まれ。国際基督教大で日本語を
学び、ミシガン大で博士号取得。64年以来アマースト大で日本史講座を担当。同志
社大、東大で客員教授などを務めた。著書に「内村鑑三」「天皇がバイブルを読んだ
日」など。


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