2015年8月16日日曜日

有名人の聖書観 Part Ⅴ(キリストを高く評価する人々)


                  有名人の聖書観 PartⅤ

キリストを高く評価する人々

【ルソー】
「友人に取り囲まれて、平然と思索を続けていたソクラテスの死は、人間が望みうる
最も好ましいものに見える。
苦悶のうちに息絶え、ののしられ、侮辱され、全国民から非難されたイエスの死は、
人の恐れるこの上もない恐怖である。なるほど、ソクラテスは毒杯を仰ぐとき、彼のこ
とを考えて涙にむせぶ死刑執行人を祝福した。
しかしイエスは苦しい拷問の中にあって、無慈悲な拷問者のために祈った。しかし、も
しソクラテスの生と死が聖人のそれであるとしたら、イエスの生と死は神のそれであ
る。」

Jean-Jacques Rousseau 1712〜78 フランス啓蒙期の哲学者・社会学および政
治学者・音楽家・植物学者。きわめてすぐれた作家でもある。
1712年6月18日、スイスのジュネーブに生まれる。誕生の数日後に母親が死亡し
たため、おじとおばにそだてられた。13歳のとき、彫刻師に弟子入りするが、3年後
にはそこをにげだし、裕福で思いやりのあるバラン夫人の秘書にして友人となる。
バラン夫人はルソーの生涯と著作に深い影響をあたえた。42年パリにでて、音楽
教師、楽譜筆写生、政治家秘書などで生計をたてる。フランスの哲学者ディドロの
したしい友人となり、ディドロから「百科全書」の音楽の項目の執筆を依頼されてい
る。




【ナポレオン】
「イエスは確かに、単なる人間ではない。キリストと帝国の建設者たち、他の宗教の
神との類似点というものは存在しないのだ。その間には無限の隔たりがある。
キリストにあるすべてのものが私を驚嘆させる。彼と世の中の者との間には、比較し
うる言葉がない。彼は真にそのままで絶対者である。彼の思想や感情、彼の述べ
る真理、彼の説得力は、人間的構造によっても、事柄の持つ性質のいずれによっ
ても、説明できない。
………近づけば近づくほど、調べれば調べるほど、すべて私のはるか上にある。
………すべてが偉大であり、何物をも圧倒せずにはやまない気高さを持っている。
………彼の生涯と類似するもの、または同じ例を、人は彼をおいて他に見いだす
ことは絶対にできない。
………私はイエスに似たものを歴史の中にも、人間の中にも、どの時代にも——そ
れと比較し。またそれを説明しうる何物をも——提供できない。」

Napoleon I   1769〜1821 フランス皇帝。在位1804〜14、15年。
たぐいまれな能力によって皇帝の地位にまでのぼりつめ、一時的にヨーロッパの大
半を支配した。コルシカ島のアジャクシオで、シャルル・ボナパルトとレティツィアの
8人の子のうちの2番目として生まれた。本名はコルシカ語でナポレオーネ・ブオナ
パルテ。ボナパルト家はロンバルディアに起源をもつ古い家柄で代々アジャクシオ
の町の行政にかかわってきたが、父は貧しい判事だった。
ながらくジェノバの支配下にあったコルシカ島は、18世紀に独立をもとめてたたかい、
手をやいたジェノバは、この島をフランスに売却し、1768年からフランス領となった。
ボナパルト家はコルシカ独立戦争で指導的役割をはたしていたが、フランス支配に
協力する立場に転向し、その功績によって貴族の資格を認定された。ナポレオンが
国王の給費生としてフランス本土でまなぶことができたのは、この資格によるものだ
った。




【パスカル】
「イエス・キリストによる神、わたしたちはただ、イエス・キリストによってのみ神
を知る。この仲保者がなければ、神との一切の交わりは断たれる。イエス・キリスト
によって、わたしたちは神を知る。イエス・キリストなしに神を知り、神を証明しよ
うと意図した人たちはみな、力のない証拠しか持っていなかった。しかし、イエス・
キリストを証明するためには、わたしたちは、かたい、手で触れるほどの証拠である
預言を持っている。そして、これらの預言は成就され、実際に起こった事柄によって
真実であることが証明されたのであるから、それらの真理の確実さを示すものであ
り、したがって、イエス・キリストの神性の証拠となるものである。こうして、イエ
ス・キリストのうちに、イエス・キリストによって、わたしたちは神を知る。この点
を離れては、また聖書もなく、原罪もなく、約束され、来臨されたぜひとも必要な仲
保者なしには、わたしたちは絶対に神を証明することができない。正しい教え、正し
い倫理を教えることができない。しかし、イエス・キリストによって、イエス・キリ
ストにおいて、神を証明することができ、倫理と教えを教えることができる。それゆ
え、イエス・キリストこそ人にとってまことの神である。」(「パンセ」よりの引用)

Blaise Pascal 1623〜62 フランスの哲学者、科学者、宗教思想家、文学者。
オベーニュ地方のクレルモン・フェランで生まれ、1629年に家族とともにパリにうつっ
た。自然科学に通じた父から教育をうけ、はやくから天才的な数学の才能をあら
わし、16歳で「円錐(えんすい)曲線試論」を書いて、射影幾何学におけるパスカル
の定理を明らかにした。面倒な計算をしなければならない父の仕事をたすけるため
、42年には史上はじめての機械式計算機を製作した。




【フランツ・リスト】
(19世紀ハンガリーの作曲家)
「十字架につけられたもうたキリスト。十字架上における彼の人類に対する熱愛と崇
高な目的——それと同じ心で生活することが、わたしの真の願いである。」

Franz Liszt 1811〜86 ハンガリー生まれのピアニスト・作曲家。19世紀ロマン派
の主要作曲家で、ピアノのソロ・リサイタルという興行形態を創始した史上屈指の大
ピアニスト。
10月22日、ショプロン近郊のライディング村に生まれる。父にピアノの手ほどきをう
け、9歳でコンサート・デビュー。その後ウィーンでオーストリアのピアニスト、チェ
ルニーにピアノを、イタリア出身の作曲家サリエリに音楽理論をまなぶ。23年、両親と
ともにパリにうつり、イタリア出身のオペラ作曲家パエールとチェコ系フランス人の作
曲家・音楽理論家レイハに作曲を師事。24年、ソロ・リサイタルをひらいて成功をおさ
め、ピアニストとして名声を確立する。




【ジョン・スチュアート・ミル】
(1806-1873、イギリスの経済学者・哲学者)
「すべての道徳的行為において判断にまようような場合には、『これがナザレのイエ
スであったらどうせられたであろうか』と考えて、物事をおこなうならば、これにま
さるものはない。」

John Stuart Mill 1806〜73 イギリスの哲学者・経済学者。
19世紀イギリスの哲学、経済学だけではなく、政治学、論理学、倫理学などに多大
な思想的影響をあたえた。




【グラッドストーン】
(1809-1898、イギリスの宰相)
(「あなたの生涯で何が一番うれしかったか」との問いに答えて)「大学を主席で卒
業したときも、国会議員に当選した時も、首相になった時もうれしかったのですが、
最もうれしかったのは、青年時代、イエスを救い主と信じ、新生を経験し、信じてバ
プテスマを受けた時でした。」

William Ewart Gladstone 1809〜98 イギリスのビクトリア時代の代表的な政治家
の一人で、1867年に自由党党首となり、4度にわたり首相をつとめた。在任1868
〜74、80〜85、86、92〜94年。
リバプールの富裕な商人の家に生まれ、敬虔(けいけん)なキリスト教徒としてそだ
てられた。イートン校をへてオックスフォード大学クライスト・チャーチで学んだが
、宗教より政治の道をえらんだ。しかし、生涯を通じて強い信仰心をもちつづけた。




【フィリップ・シャッフ】
(19世紀アメリカの神学者)
「ナザレのイエスは金も武器もなかったが、アレクサンダー大王やマホメットやナポ
レオンよりも多く、幾百万という人々を征服した。科学も学問もなかったが、彼はあ
らゆる哲学者や学者を合わせた以上の光を投げかけた。雄弁という訓練を受けたこと
もなく、あとにもさきにも語られたことのないようないのちのことばを語り、雄弁家
や詩人の達することのできない効果を生んだ。一行も書き残しはしなかったが、古代
および現代の偉人の全部を合わせたもの以上に、多くの人たちの文筆を働かせ、より
多くの説教や演説、討議、芸術品、学術書や美しい賛美歌への主題を提供した。
飼い葉おけの中で生まれ、悪人として十字架につけられたが、彼はいま世界文明
の運命を支配している。そして地球の住民の三分の一を包含する霊的帝国を統治
している」




【八木重吉】
「波がひとつの川をながれてゆくように一念に基督を呼んで行こう。」




【八木重吉】
私はいろいろと経てきた後、死と生、の問題におびえました。また善と悪の問題に
迷いました。苦しい年月が経ちました。その間いろいろの人の言葉を聞き、いろいろ
の行いを見ましたが一つとして私を完全に満足させませんでした。しかるについに
一つの路にたどりつきました。一人の人に逢いました。
私はまずその人の言葉と行いに完全なる善を感じました。人間業でない完全なる善
を感じました。その人の他人に対する態度、行い、言葉の内に非のうちどころがあり
ません。この人の人格は全く普通の人を超えています。
その人自らを空しうして他人のために働く態度、全くの虚心——それは完全なる善
であるとしか考えられません。そして何とも言えぬ美しい魂のひらめき、崇高なる魂
の魅力、それをその人に感じました。それこそ自分の長い間探していた者だ——と
信じました、この人の言うことを聞けば、この人間の世に生くる根本的な考えがわ
かると思いました。
そしてほんのわずかずつその人の言ったことをやってみると何のことはない、ぎっしり
こめていた霧が少しずつはれるように、私の生活は少しずつ明るく、しっかりと血色が
良くなって来ました。いままでどうしても解けなかった難題が自ずと結び目がほぐれて
ゆきました。私はこれに勢いを得てますますその人はいい人だ、真に偉い人だ、間
違いのない人だと信ずるようになりました。
ここにおいて私の自分自らの心に対する問題、家庭に対する問題、広く人生に対す
る問題が、氷の溶けるように解けてゆくのを感じました。(しかし、もちろんまだまだ
本当には分かり切りません。しかし本当の光を認めたという確信は生じました。)
これは誰か、この人こそ私がこの人をよく知るまでは、大変な馬鹿者、つまらない奴、
いけ好かない奴、うそつきと思っていましたイエスという名前の大工のせがれです。
(中略)私は、イエスほども行いをなし、あれほどの言葉を言った者が嘘を言うはずは
ないと信じます。そしてこの点まで信じてきて私の長い間の苦しみは、ただ一つ、
すなわちいかに絶えず彼の前に自らを悔いんか——この一つの努力に集中されて
きました。
そしてそれから後もいろいろ信仰上、また、神についての迷いが生じますが、いつ
もつまりは『イエスほどの純潔な、崇高な無我愛に生きた、はかるべからざる智慧
の持ち主が、嘘を言うはずはない。もしあれが嘘ならこの世のほかのことすべては
もっと嘘に違いない。いわんやこの眇たる自分の、いい加減なこれまでの知識に育
てられてきた智慧など信ずることは出来ぬ。とにかく世に信ずべきものありとせば、
彼イエスの言葉と行いである。』
こう考えて再び努力精進の勇気を奮い起こします。私にとっては今まで読んだ何百
何千の書物よりも、このイエスという人の一言が重いのです。世界中の人が嘘だと
いっても私には嘘だと思えないのです。

重吉の詩は、その厳しい生涯と、さらに30年の生涯を支えたキリスト教信仰と深く関
係している

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