2015年8月16日日曜日

No.114(数字の間違い- ウイリアム・グラッドストーン)

数字の間違い

  ウイリアム・グラッドストーンは、蔵相時代に、部下に予算案の土台となる幾つ
かの統計値を算出させた。しかし、統計担当官の提出した数値は間違いだった。けれ
どもこの担当官の正確度に絶大の信頼を寄せていたグラッドストーンは、それらの数
値を確かめることをしないまま、下院に出向き、自分が受け取った不正確な数値に基
づいて、予算案の承認を求める演説を行なってしまった。その演説は新聞で取り上げ
られ、そのひどい間違いが暴露された。
 グラッドストーンが困惑したのは言うまでもない。グラッドストーンは大臣室に戻
ると、この屈辱的状況を引き起こした張本人を直ちに呼び寄せた。恐れおののきなが
らやって来た統計担当官は、左遷を覚悟していた。ところが、グラッドストーンはこ
う言ったのだった。「この件で君がひどく狼狽していることはわかっている。こうし
て君を呼んだのはその心配を取り除いてやるためだ。君は国家の財政という複雑な事
柄を長い間、処理してきてくれたが、君が過ちを犯したのは今回が初めてだ。そこ
で、今までの君の立派な仕事ぶりに『おめでとう』を言い、心からの謝意を表明した
かったんだ。」 
こんなまねができるのは、真の寛容さと広い心を持つ大人物だけです。


【ウイリアム・グラッドストーンのことば】
● 私はこの時代に、偉人と呼ばれる95人の人を知っている。うち87人は、聖
書を奉ずる人であった。聖書の特色はその特異性にあり、他のあらゆる書物を無限
に引き離している。

●(「あなたの生涯で何が一番うれしかったか」との問いに答えて)「大学を主席
で卒業したときも、国会議員に当選した時も、首相になった時もうれしかったのです
が、最もうれしかったのは、青年時代、イエスを救い主と信じ、新生を経験し、信
じてバプテスマを受けた時でした。」


William Ewart Gladstone 1809〜98 イギリスのビクトリア時代の代表的な政治家
の一人で、1867年に自由党党首となり、4度にわたり首相をつとめた。在任1868
〜74、80〜85、86、92〜94年。
リバプールの富裕な商人の家に生まれ、敬虔(けいけん)なキリスト教徒としてそだ
てられた。イートン校をへてオックスフォード大学クライスト・チャーチで学んだが
、宗教より政治の道をえらんだ。しかし、生涯を通じて強い信仰心をもちつづけた。

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