2015年8月16日日曜日

No.109(2つのJ-内村鑑三)

2つのJ−内村鑑三

ピューリタンの倫理に通じる武士道精神
 無教会主義のクリスチャンとして知られる内村鑑三の墓碑には、彼の信念が刻まれ
ています。「二つのJ(Japan とJesus)」への献身と表現されるもので、日本が世界
に誇ることのできる数少ないものといえるかもしれません。
内村鑑三は上州高崎藩士の長子に生まれ、儒教的背景と武士道精神によってそ
の幼年期を育まれています。特に武士道は西洋の騎士道、ピューリタンの倫理に通
じるものとして大きな意味を持ったようです。その彼がキリスト教信仰に踏み出すの
は札幌農学校時代ですが、ここの教頭クラークは生涯をかけてキリスト教の精神を
実践した人物でした。クラークは、北海道開拓吏事務当局が英訳して読み上げた校
則を全部拒絶し、必要な校則は「紳士たれ(Be gentlman) 」の一語に尽きると明言
したエピソードは広く知られています。
 このクラークが「イエスを信ずる者の契約」を起草し、第一期23名のうち16名
がこれに署名しました。クラークはこの署名を佐藤昌介に預け、8か月の任期を終え
て札幌を離れました。有名な「少年よ、大志を抱け (Boys be ambitious) !」の
言葉は、師を追って島松駅までついてきた少年たちに与えた、クラークの惜別の辞
だったのです。
 内村はこのクラークの気風の色濃く残る札幌農学校に二期生として入学し、新渡戸
稲造らと共に洗礼を受けることになるのです。 内村たちは宿舎の私室に「教会」を
形成し、共に祈祷会を催して信仰を育み合い、卒業間近の頃には「国と同胞のために
一身を捧げよう。それぞれの道は異なっても、最大の目的はキリスト者として一生を
まっとうすることだ」と述べ合い、誓い合ったといいます。

反対する家族を伝道し父母に洗礼を授ける
 内村のキリスト教信仰に対して、父親は断固として反対、母親は無関心、弟は極め
て挑戦的という状況でした。しかし、帰省の度に熱心に伝道し、ついに3年かけて父
親が洗礼を受けると、家族、氏族が多く信仰を持つにいたりました。
 さて、こうした内村が第一の結婚の失敗とアメリカ留学によって、新たな転機を迎
えます。アメリカはピューリタンの故国・信仰の母国として、彼にとっては聖地その
ものでしてが、愛の実践というサービスにもチップが要求されたり、スリや盗難に
遭ったり、根強い人種差別を目撃したりして、キリスト教国の現実を嘆いています。
このアメリカ体験は自分の行くべき道と、日本におけるキリスト教のあり方につい
て、深く考えるきっかけとなりました。
 かくして内村は無教会主義の立場をとるとともに、日本に神の摂理を見いだし、神
が日本を準備してきたことを確信するのです。内村は、文学者では志賀直哉・有島武
郎・正宗白鳥、聖書学者としては塚本虎二・黒崎幸吉・関根正雄、東大の総長となっ
た南原繁・矢内原忠雄、他にも岩波茂雄・山室軍平といった、当時のそうそうたる
人々に影響を与えていくことになるのです。

信仰生活40年を経て熱烈な再臨運動に転身
 内村鑑三がちょうど40年の信仰生活を経た時、最大の転機を迎えています。それ
が1918〜1919年にかけて打ち込んだ再臨運動なのです。1918年の1年間だけでも
58回の講演をして約2万人の人々を感動させ、時には欧米宣教師10数人から依頼
されて英語で説教することもあったといいます。
 「真の平和は戦争や外交によってもたらされるのではなく、キリストの再臨によ
る」と説き、大会の後の晩餐会で最上の席を再臨主のために空席にするなど、その運
動は熱烈なものでした。内村は次のようにも言っています。「先日電車の中で古い弟
子の一人に会ったが、彼は私にむかって、『先生、まだ伝道などをしていますか』と
嘲弄(ちょうろう)的にたずねた。これは一例であるが、心魂をかたむけつくして福
音を説いても、慰められることはまことに少ない。背信者が続々でる。私のところを
去ってから、後で私の悪口を言う者も多い。いくたび酷い目に遭ったかわからない。
この私の苦痛を誰が慰めてくれるか、それは再臨のキリストである。彼が再び来た
時、『よく働いた』と言って、私を慰めてくださるに相違ない。彼の聖き姿に接し、
この一言さえ彼から聞ければ、私の一切の苦労も損傷も償われて余りある。ゆえに私
はその時を待ち望んで、地上にあっては涙を流して種をまいているのである」
 彼は再臨運動によって日本の宗教界を揺り動かしました。一説には、彼は赤城山で
お祈りをしている時に「再臨主は日本に来る」という啓示を受けて非常に驚き、日本
全国津々浦々を講演して回りながら、その兆しを探し求めたといわれています。しか
し、どこにもそれを見いだせず、失望して再臨運動は2年で下火になっていきまし
た。
   
  I for Japan,
  Japan for the World,
  The World for Christ,
  And all for God.

  我は日本のため、
  日本は世界のため、
  世界はキリストのため、
  そしてすべては神のために

  内村鑑三の墓に刻まれた四行詩

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