粘土と炎と灰が生み出す素朴な色合いが、心を落ち着かせる。この人の作品にい
わゆる華やかさはない。大地の息吹を感じさせる力強さと素材そのものが持つ美
しさ、自然な風合いが特徴だ。
大学は経済学部に進んだが、京都の陶芸家、河井寛次郎の生命力あふれる焼き
物との出会いが彼に陶芸の道を選ばせた。学生時代から人生の真理を追究し、文
学や哲学、仏教、さらには美の世界にそれを求めた。「こういう生命力、生命観を表
現できるのなら、そこにいのちを賭けたい」と焼き物の世界に飛び込んだ。
益子焼きで知られる地域の製陶所に研究生として入り、焼き物の世界にのめり込
んで、それなり充実した毎日を過ごしたという。だが、「本当にこれが自分の魂を満
たすのか」との疑問がわき起こり、次第に信仰の世界へと心は向かった。そして、
修行生活の5年目、陶芸家として独立を考えていた頃に神を信じた。
神との出会いを契機に、作風も一変した。人から「見事だ」と評価されたい気持ちは次
第に消え失せ、神が造られた自然の素材そのものの美しさを引き出すことに全神経
を集中するようになった。
素材といっても粘土や釉薬(ゆうやく)だけではない。使う窯も、神が与えた自然のも
のを最大限に生かすために、登り窯を選んだ。ガス窯に比べ、温度の制御も難しく
、人手や労力、費用など20倍はかかる。だが、薪(まき)の火が与える1300度前
後の温度が金属を発色させ、釉薬を溶かし、粘土を焼きしめる。薪、粘土、釉薬が
同一点で反応し合い、またとない美しい作品を生み出す。そこに神の恵みを見て取
った。
「時代にあう、合わないということより、この信仰と山の暮らしの中から、私を通して
自ら生まれる作品であって欲しい。神が造られた自然の姿、美しさに学びながら。
聖書にある『御霊の実』(愛、喜び、平和・・・)が作品にも実となって現れるのが私
の願いです。」
自然の中に暮らしていると、神が近くに感じられ、感性が豊かに育まれる実感がある。
山の間に朝日が上り、夕日が空を染め、草木が育まれ、四季がめぐる。大地の中
に神の息吹を感じ取り、その美しさを表現するためには、澄んだ心を保つことも大
切だ。
「『心からあふれ出ることを、口が語るものである。』と聖書にあるように、人は、そ
の内側にあるものが外に出てくる。焼き物も同じ。心の内側にあるものが作品に現れ
る」。信仰と思いが整えられるように、日々の黙想と祈りを欠かさない。
彼は言う、「私にとって作陶は一種の礼拝行為。バッハではないですが、『ただ神
の栄光のために』というのが今の私の祈りです。」
つばき いわみ
1946年、東京生まれ。70年に上智大学経済学部を卒業後、77年から塚本製陶所
で修行。84年に茂木町に築窯し、ベウラ陶房を設立。個展を中心に焼きしめ、灰
釉の作品を発表。
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