2015年8月16日日曜日

No.130(西郷隆盛 - 敬天愛人の思想)

西郷隆盛の祈り

「道は天の道であり、地の道である。人の分はそれに従うことである。
したがって、天を敬うことをもって人生の目的とすべし。
天は我をも人をも等しき愛をもって愛する。
したがっておのれ自身を愛する愛をもって、他人を愛すべし。
人ではなくして、天を友とせよ。
しかして天を友としつつ最善を尽くすべし。
決して他人を責むるなかれ。
ただ、自分が及ばぬ身である事を顧みるべし。」

新渡戸稲造 著:「武士道」:飯島正久訳:築地書房より



西郷隆盛 1827〜77 
明治維新の指導的政治家。木戸孝允・大久保利通とともに維新の三傑とよばれる。薩
摩藩の下級藩士、西郷吉兵衛の長男として生まれる。開明的藩主の島津斉彬にみ
いだされて側近として活躍したが、1858年(安政5)の斉彬の死、および安政の大獄
で失脚、奄美大島で幽囚生活をおくる。
1862年(文久2)復権したのちは、島津久光と折り合わず再度の流罪にもあったが、64
年(元治元)の禁門の変から長州征伐、やがて王政復古から戊辰戦争という事態を巧み
に主導し、明治維新を成功にみちびいた。
維新後は帰郷して藩政改革を指導したが、1871年(明治4)に諸条件をのませて新政府
の参議にむかえられると、岩倉使節団外遊中の留守政府をあずかり、地租改正・徴兵
制・学制ほか革新的政策をすすめた。
しかし1873年、征韓論問題で下野。その行動に多くの薩摩藩出身者がしたがい、彼が
遊居する鹿児島県下は私学校生徒を中心に独立王国のようになり、やがて不平士
族の盟主とあおがれるようになった。彼らの熱情にもひきずられ、77年に西南戦争を
おこしたが敗退し、鹿児島の城山で自殺した。

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