2015年8月15日土曜日

No.083(義人の叫び- 田中正造)

義人の叫び

陽明学の大家中江藤樹は、『志には真と仮(かり)あり。名に志し、理に志し、種々
他に願うは、皆生を滅ぼし、死に入るの仮志なり』と言った。
中江藤樹は、真の志と仮の志とにわけて、仮の志は身を滅ぼすが、真の志は死を
越えて永遠の光を放つという。
どの世界を歩き、どんなに奮闘努力しても、志卑しき物は必ず腐臭をまき散らす。
名利を追い求めるインチキ文化人や、栄達と権力に血迷う金権政治家や、財宝と色
欲に狂奔する悪徳企業の醜態を見よ。
一人一人志す道は違い、目指す世界は違っても、われわれの志は、あくまで真の
志でなければならない。何ものにも屈せず、真の志を貫いた快男児が日本人の中に
もいる。明治の佐倉周五郎と言われ、20年間公害問題と取っ組んで、狂気のよう
に奔走した田中正造もその一人だ。彼は、栃木県選出の代議士となり、日本公害告発第
1号−足尾銅山の鉱毒事件で義名を天下にうたわれた。
いつも汚れた着物を着て、どこへでも平気で顔を出したが、彼の胸中には正義の火
が燃えていた。
田中の議会演説は激烈で「バカ野郎!」とか、「どろぼう野郎!」などと痛罵する。だ
が彼は、幾日もかかってスピーチの想を練り、十分に資料を調べ上げてから、とうとう
と熱弁を振るうのであって、田舎代議士のお粗末な演説とは違っていた。
足尾銅山の鉱毒によって、渡良瀬川の沿岸に全滅の危機が迫ったときも、田中は
沿岸10万の農民のために猛然と決起し、第二帝国議会で血の叫び声をあげた。
「諸君!渡良瀬川沿岸四万町歩の田畑は全滅し、10万の人民は毒を食べているのだ!
人間は自分の身に災いがふりかからぬと、何をいってもわからんものだ。もし、榎本農
商務大臣の向島の別荘で、草が一本もはえなくなったらどうであろう?早稲田の大隈さ
んのきれいな庭に、一本の草花もなくなったらどうであろう。伊藤博文公の小田原の別
荘の砂が鉱毒に汚染されていたらどうであろう?
私は、渡良瀬川の水を汲んできて、一度諸君に飲んでもらいたいと思う。諸君はそれを
飲む勇気があるか!」
ある日、早稲田の大隈重信邸を訪ねた田中は、樽をかついでいた。例によって髪はぼう
ぼう、薄汚い身なりで、応接間のテーブルをたたいてどなった。
「あんた方の心は、木石なのか。鉱山会社の利益が大事か、10万の命が大事か。営利
会社に買収された政治家どもは腐りきっているのだ。東京にいてはわからん。あんたも
一度現地へいってみるがいい。現地の惨状がどんなものか、あれを見て考え直さない者
は人間ではない!」
田中は、いうだけのことをいうとサッサと庭に降りてゆき、持ってきた樽を、きれいに
手入れされた庭樹の根本にぶちまけた。鉱毒の最もはげしい渡良瀬川沿岸の土が入れて
あったのだ。
「大隈さん、この樹に花が咲くかどうか、あんたの目で、この樹の姿を見ていなさい」
孤軍奮闘、ついに死を決した田中は、明治34年12月10日、開院式還御(かん
ぎょ)途上の天皇に直訴を企てた。彼は狂人扱いにされて、獄舎の人となった。
彼の行動を笑う者は、狂人奇人と呼んだが、この男の胸の燃えさかる純粋な情熱と、志
の高さを理解できない俗物たちである。
彼が死んだとき、枕べにあったのは、一個のずた袋と一個のすげ笠だけ。ずた袋の中に
は、新約聖書1冊、日記3冊が入っていた。

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