2015年8月15日土曜日

No.019(安息日)

現代のイスラエル社会の中で安息日というものがどのように扱われているのかの一
端を知ることができると思います。

★★イスラエル通信★★ (第十八号  10月24日)より、転載。
◆安息日◆

安息日は金曜日の日没に始まり、土曜日の日没に終わります。またユダヤの祝日
も安息日同様の扱いとなります。『夕となり、また朝となった。第O日である。』
という創世記の記述に基づいているのでしょう。安息日、祝日共に一切の労働が
禁じられています。働かなくてもよいではなく、働いてはいけないのです。これ
が普通の国の日曜、休日と大きく異なるところです。しかしこの現代社会にあっ
て何が仕事になり、何がかまわないのかという定義は旧約聖書にあろうはずがな
く、ユダヤ教のラビたちが会議を開いて、こと細かに定義しているそうです。そ
れによると電化製品のスイッチを入れることも仕事になり、いけないそうです。

安息日にコンピュータを使う方法を研究している人がいるという面白い記事を見
かけました。興味のある方は下記のリンクより、アクセスできます。
http://journal.jp.msn.com/worldreport.asp?id=970821jews

安息日の規定ゆえに、ばかばかしく思えるかもしれませんが、電気のブレーカー
が落ちたりしたときのような何かとっさの出来事に対応するためには非ユダヤ人
を探して頼まないといけないのです。筆者もイスラエル滞在中、一度ブレーカー
を上げるくれないかと頼まれたことがある。宗教者のアパートのエレベーターは
安息日になると、一定時間経過の後自動的に扉が閉まり、各階に止まるような特
別運転に変わる。車の運転も禁止されており、宗教者の地区は道がバリケードで
ふさがれてしまいます。エルサレムでは安息日に入る時間に警報が鳴らされます。
日没が安息日の開始時間、終了時間の目安になっているので、時間は週毎に変わ
ります。

さて安息日の雰囲気はどのようなものであるかというと、筆者は日本の大晦日か
ら元旦にかけての雰囲気のような感じがしました。特に安息日に入る直前の市場
は大晦日の市場のように大賑わいです。面白いのは安息日に入る直前にラバイが
角笛を吹き鳴らし、市場を徘徊し、店じまいを強要してまわります。ヘブライ語
で安息日のことをシャバットといいますが、「シャバット、シャバット」と叫ん
でいるのをよく耳にしました。時に店の人とラバイがけんかしている光景もよく
見かけました。

家庭の中では安息日に入ると、家族そろって、食卓につき、ごちそうを中心に団
欒のひとときを過ごします。安息日に関して、一つよいことだなと思うのはその
ようにして、ユダヤ人の多くの家庭がそのようにして一週間に一度は家族の団欒
の時間を持つことです。そして安息日は、日本の寝正月のように家の中でのんび
りと過ごしています。ただよく暇そうにベランダから外を眺めている人を見かけ、
やっぱり何もできないというのは暇だろうなという感じがしました。安息日には
公共交通機関は全てストップ、店はすべてしまっており、文字どおり街全体が休
んでしまうので、何もできないのです。筆者もイスラエル滞在中に安息日は、暇
で暇で仕方がなく、アラブ人地区に足を伸ばしたりしました。ちなみにイスラム
教徒の祝日は金曜日です。

しかしながら、この現代社会で安息日を厳格に守ることに不便を感じている人は
数多くおり、一般的ユダヤ人は、それほど厳格に守らなくなっているようです。
経済の街テル アヴィヴでは安息日に海岸や、遊園地で行楽を楽しむ人々の姿を多
く目にしました。宗教都市 エルサレムでも安息日にも営業するスーパーが開店す
るなど、変化が見られます。ただ宗教者たちにそのような変化をよしとせず、聖
俗の対立につながることもあるようです。

今後安息日も、家族の団欒などのよい面は残しつつ、時代の変化に対応しつつ、
守られていくことになるのではないだろうかと思いますが、何はともあれモーセ
の時代から今に至るまで、波乱に富んだユダヤ人の歴史の中で安息日が守られ続
けてきたことは驚異に値するものでしょう。それはユダヤ人のすごさでしょうか。

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