『義認教義に関する共同宣言』に調印
独アウグスブルグでカトリックとルーテル派
【アウグスブルグ(独)=LWI・CJC】(クリスチャン新聞より転載)
アウグスブルグでは1999年10月31日の『宗教改革記念日』は、教会の共通の証
しへ向けて重要な一歩を踏み出す時となった。ルーテル世界連盟とバチカン(ロー
マ教皇庁)キリスト教一致推進評議会との間で、カトリック教会の第二バチカン公
会議以来30年にもわたった困難な対話の成果が、『義認教義に関する共同宣言』
に結実したのだ。
ローマ・カトリック教会の大聖堂からアウグスブルグの市街を縫う行進に続いて、
『義認教義に関する共同宣言』の調印が10月31日、聖アンナ・ルーテル教会で超
教派の礼拝の中で行われた。礼拝も洗礼、義認の秘跡自体に焦点を置いて、現
在と、そして将来に視点を定めたものだった。クラウゼ監督は、両派の指導者、そ
れに正教会やプロテスタント各派の世界各地からの参列者700人を前に説教した。
『義認教義に関する共同宣言』について公式声明が、ルーテル世界連盟のイシ
ュマエル・ノコ総幹事とバチカン(ローマ教皇庁)のキリスト教一致推進評議会議長
のエドワルド・イドリス・キャシディ枢機卿によって読み上げられ、歴史的な瞬間を
迎えた。
11時半、ルーテル世界連盟のクリスチャン・クラウゼ議長とキャシディ枢機卿が立
ち上がり、講壇の脇にこの日のために置かれたテーブルに進んで、署名した。続い
て、ノコ総幹事と、評議会のワルター・カスパー局長が署名したが、喜びに満ちた表
情で会衆の拍手に応え、互いに抱き合った。
聖アンナ・ルーテル教会は、共同宣言の調印とキリスト者がキリスト・イエスに
あって求めていた一致とによって和解一致の場として、そしてその象徴となったばか
りでなく、会衆の皮膚の色の多様性と、礼拝の際に聖書朗読などで多彩な言語が
使われたことによっても象徴となった。独、英、伊、ポルトガル、ハウサ語が使わ
れた。
報道陣がルーテル世界連盟側の署名者に質問したが、その中の3人の女性代
表は、カトリックとルーテル派の対話という歴史的な過程に居合わせたことに大き
な喜びを表明し、これがさらなる対話、合意につながり、有益な経験を積むようにな
ることへの期待を表わした。
《解説(歴史的背景)》
宗教改革とプロテスタントの誕生
中世のローマ・カトリック教会は、整えられた組織、体系を持って、西欧世界のあら
ゆる側面に大きな影響力を駆使するわけですが、それだけに問題も抱えていました。
信仰の儀式化、知識化、それに伴って起こった形骸化と言ってよいでしょう。いわゆ
る「免罪符」にしても、確かに民衆の宗教的ニーズに応えていたのですが、結局、間
違った仕方で応えていたのです。
宗教改革はこうした状況の中で、キリスト教とその信仰を再び聖書の福音に立ち返ら
せることを願って始まりました。
その最初の人がドイツのマルティン・ルター(1483-1546)です。ルター訳のドイツ
語聖書の翻訳という、ドイツ語史にも、人類の文化一般にも及ぶ貢献をしましたが、
「聖書のみ」「恵みのみ」「信仰のみ」したがって「キリストのみ」によって、神に
よる罪の赦しと救いとを訴えました。
当初の意図は、西方教会全体の改革だったのですが、当時のローマ・カトリック教会
には受け入れられず、ドイツから北欧にかけて、各地に「ルーテル教会」として成立
するようになったのです。「プロテスタント教会」の始まりです。
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