善をなすのに遅いことはない
以前、北朝鮮の核疑惑や戦争発言に世界が慌てふためいているなか、一人の
人物が新しい局面を開き、脚光をあびた。
アメリカの元大統領ジミー・カーター氏が、北朝鮮の金日成(キム・イルソ
ン)主席と会談、緊迫した状況を一変させたのである。
当時、北朝鮮は国際原子力機関(IAEA)からの脱退を宣言、世界は緊迫
した状況となっていた。しかし、「一市民の静かな外交」と語ったカーター元
大統領の働きにより、状況は変えられ、韓国、北朝鮮の南北首脳会談実現の可
能性まで引き出したのである。
全世界から孤立した北朝鮮が、政治的な駆け引きや、制裁などにも決して屈
しなかったにもかかわらず、なぜカーター氏の外交が成果をおさめたのか、そ
れはカーター氏の人格によるものだ、とマスコミ各紙は語った。
大きな政治力や、脅迫とも思える制裁など、力による解決は失敗に終わり、
平和な個人の力のほうが勝利したのだった。
カーター氏は自伝『なぜベストを尽くさないのか』(英潮社刊)の中で、個
人の力について、ジョージア州知事時代に次のように語っている。
「最近は、貧しい人々や、苦しむ人々の問題を解決できるのは政府だけだと
考えて、個人としての責任を回避してしまう傾向が強いようだ。しかし我々市
民は、自分個人の力と義務を過小評価してはいけない」
カーター氏の人生に大きな影響を与えたものに、彼の母親の生き方がある。
「母は看護婦で、幼少のころから近所の病院か病人の家で、付き添いの看護
婦として働いていた。また、村の人たちのために、医者の代わりもしていた。
母はどんな病気の人にも深い思いやりで接する人だった。
ある時、ジフテリアで苦しむ少女を何週間も看護したことがあった。その少
女の家はとても貧乏だった。結局、その少女は死んでしまったが、その数週間
後、その少女の父親は、馬車でテレピンの木のクズを馬車いっぱいに積んで、
一日以上もかけて持ってきた。
テレピンの木のクズは現金にならなかったが、冬の間の薪の炊き付けには必
要なものだった。少女の父親は、看病の感謝をこのような暖かい、誠意のある
方法で表したのだった」
また母親は一九六六年の夜、平和部隊志願者の募集をテレビで見て、そこに
「年齢制限がない」ことを見つけると、すぐに応募した。
平和部隊の一員となった彼女の任務は、インド人に栄養指導をすることだっ
た。そのために彼女は、インドの方言マラタ語とヒンズー語を学ばなくてはな
らなかった。当時彼女の年齢は六八だった。それから七〇歳を越えるまで、平
和部隊の一員としてインドで働き、インドは彼女にとって第二の故郷となるほ
どだった。
このように彼女は常に弱い者、苦しむ者の味方であり、そのために自分に与
えられた看護婦という仕事を捧げたのだった。カーター氏はこうした母から大
きな影響を受けた。善をなすのに遅いことはない。今からでもやれる。今が善
をなす時である。
カーター氏はよくこう語っていた。
「人は二つの愛を持たねばならない。一つは神への愛、もう一つは隣人への
愛である」
0 件のコメント:
コメントを投稿