2015年8月15日土曜日

No.037(白隠禅師と赤ん坊)

白隠禅師と赤ん坊

  江戸時代に、白隠禅師というお坊さんがいました。白隠禅師は、
駿河国、富士山麓の原という村にある松蔭寺で、大勢の門弟を抱え
ていた名僧と言われる人です。
 ある時、檀家の豪商の娘が、未婚の身でありながら妊娠しまし
た。娘の父親が、
「なんという不埒な娘だ。相手の男は誰だ?」
 と問いただしても、娘は頑として相手の名前を言おうとしませ
ん。それでなおも厳しく責めると、
「じ、じつは、白隠様なのです」
 と白状しました。こともあろうに尊敬する禅師だと聞いて、父親
の失望と怒りは大変なものでした。月満ちてその児が生まれると、
すぐ父親は赤ん坊を抱いて松蔭寺に行き、泣き叫ぶ赤ん坊を白隠禅
師の前に投げ置きました。そして、
「娘の言うとおりに、和尚の子に相違あるまい。どうだ!」
 と決めつけ、思うまま白隠和尚を罵ったのです。小さな村のこと
ですから騒ぎが大きくなり、弟子たちも躓いて、寺から出ていって
しまいました。そして寺は、すっかりさびれてしまいました。
 それからというもの、雨の日も風の日も、白隠和尚は、泣く赤ん
坊をおんぶして托鉢に出かけました。もらい乳をして歩かねばなり
ませんでした。
「だれか、この児に乳をやってくれる人はおらぬか」
「それはほんまに、あんたの児かいな?」
「ああ、わしの児じゃよ。この児の母親がそう言うのだから間違い
ない」
 世間の目は冷たく、白隠はなかなか乳がもらえずに、粥をといて
与えたりしました。
 それから数ヶ月後のある冬の日、朝風も霜に冷たい街道を、相も
変わらず赤ん坊をあやしながら托鉢している白隠の姿を、この娘が
窓越しに見ていました。彼女は居ても立ってもいられなくなり、父
親の前に跪いて、ゆるしを乞いました。
「お父さん! ゆるして下さい。あれは白隠和尚の児ではありませ
ん。実は私と、家の番頭との間に生まれた児です。お父さんは信心
深い人だから、『和尚が相手です』と言えば、きっとゆるしていた
だけるだろうと思ったのです」。
 驚いた父親は、さっそく寺に参上して、白隠禅師に平身低頭して
お詫びしました。白隠は黙々とその父親の話を聞きながら、
「そうか、そりゃ良かった。この児にも実の父親がいたとはのう。
これも仏様の御加護じゃ」
 と一言漏らしただけで、にこやかに笑っていたと言います。散々
に人々から非難された白隠禅師でしたが、やがて真実が明らかに
なった時、白隠禅師の名はいよいよ広まり、この物語はその後、浪
花節、浄瑠璃にまで仕込まれて全国で言い伝えられるようになった
のです。

白隠 はくいん 1685〜1768 臨済宗中興の祖といわれる、江戸時代中期の禅僧。

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