身理(おさ)まりて国乱るる者を聞かず
貞観初年の事、大宗が側近のものにこう語った。
「君主たる者はなによりもまず人民の生活の安定を心掛けなければならない。人民を
搾取して贅沢な生活にふけるのは、あたかも自分の足の肉を切り取って食らうような
もので、満腹した時には体の方がまいってしまう。天下の安泰を願うなら、まず、お
のれの姿勢を正す必要がある。いまだかつて、体はまっすぐ立っているのに影が曲
がって映り、君主が立派な政治をとっているのに人民がでたらめであったという話は
聞かない。私はいつもこう考えている。身の破滅を招くのは、ほかでもない、その者
自身の欲望が原因なのだ、と。いつも山海の珍味を食し、音楽や女色にふけるなら、
欲望の対象は果てしなく広がり、それに要する費用も莫大なものになる。そんなこと
をしていたのでは、肝心な政治に身が入らなくなり、人民を苦しみにおとしいれるだ
けだ。そのうえ、君主が道理に合わない事を一言でも言えば、人民の心はバラバ
ラになり、怨嗟の声が上がり、反乱を企てるものも現れてこよう。私はいつもそのこ
とに思いを致し、極力、おのれの欲望を押さえるようにつとめている。」
諫議大夫の魏徴が答えた。
「昔から、聖人とあがめられた君主は、いずれもそのことをみずから実践した人々
であります。ですから理想的な政治を行う事ができたのです。かつて楚の荘王が
賢人の何(せんか)を招いて政治の要諦をたずねたところ、何は『まず君主が
おのれの姿勢を正すことだ』と答えました。楚王が重ねて具体的な方策についてた
ずねました。それでも何は『君主が身を正しているのに、国が乱れたということは
いまだかつてありません』と、答えただけでした。陛下のおっしゃったことは何の
申し述べたことばと、まったく同じであります。」
貞観政要
世界帝国唐王朝の基盤を固めた名君太宗と重臣房玄齢・魏徴らが語り合う経営・
処世の要諦。北条政子が心酔し、徳川家康が愛読し、明治天皇が関心を寄せた
中国の古書
貞観の治 じょうがんのち
中国、唐の太宗(李世民)の時代の政道を賞賛していわれる言葉。
貞観は太宗の治世の年号をさす(626〜649)。この時期は、隋代末期からの混乱も
終息して国内が安定し、国外からも多くの朝貢使節がおとずれた。
「貞観政要」などによって、中国のみならず朝鮮や日本にもつたえられ、後世の模範
となった。日本では、このような理想にならうべく、清和天皇の時代(858〜876)に年
号として貞観がもちいられている。
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