2015年8月15日土曜日

No.051(「たとえ、ぼくに明日はなくとも」)

1998年8月14日付「新潟日報」朝刊の社説から

「たとえ、ぼくに明日はなくとも」

夏休み中の中学生と高校生へ。
楽しく過ごしているだろうか。コンサートに熱狂しても、なぎさを歩いて波間に身を
任せても、邪念を追い払って勉強してみても、フーッとむなしくなるときがありはしな
いだろうか。
生きるって、人生って、何だろう。勉強したからって、どうなるんだろう。
そんなことを考えているとしたら、若者である証拠だと思う。
七月中旬に東京へ出かけ、こんな話を聞いてきた。進行性筋ジストロフィーの少年
が14歳の時、「自分は20歳までしか生きられない」と知った翌日から猛勉強を始
めたという。
彼にとっては「学ぶことが生きることだった」と、この話をしてくれたのは彼のお父さ
んだ。
少年の名は石川正一君、お父さんは石川左門さん。でも、正一くんはもうこの世に
いない。
彼が亡くなってすでに19年が経過した。だから、お父さんは淡々と話されたのだ
が、とても心に残ったので、中・高校生の皆さんに伝えたくなった。
筋ジストロフィーという難病を背負い、容易ではない人生を歩かなければならなかった
正一くんは、誰よりも自分の生を深いところで見つめていた。
彼は決して過去の人ではない。いつまでも、生きることに悩む若者たちの同時代人だ。
たくさんのメッセージを残している。

見るものすべてが勉強だ。

正一くんは1955(昭和30)年、東京生まれ。両親の愛を一心に受け、元気な弟と
の4人家族だった。5歳の頃、東大病院で筋ジスと診断される。10歳の夏、ついに
歩けなくなった
自分の足をたたいて絶叫した。
「お母さん
もう一度立ってみる
ちきしょう
ちきしょう
ぼくはもう駄目なんだ
ぼくなんかどうして生まれてきたんだ!
生まれてこなければよかったんだ!」
14歳の初夏に、父親が帰ってくるのをじっと寝ないで待ち、一緒に風呂に入って対
話した。
「ぼくはいつまで生きられるの?」
子どもが聞いてきたとき、そらさないで真正面から答えていこう、と決めていた左門さ
んは、息子の背中を洗いながら決心して言った。
「正ちゃんの筋ジスのタイプは、残念だけど20歳までの命だといわれているよ」
「ふうーん、じゃあ、明日からどう生きるかが問題だね」
 正一君にとって20歳は早すぎた。でも、翌日から鮮やかに変わり猛勉強を始めた。
自分の得意なものを見つけ磨きをかけるような時間の余裕はなかったから、陶芸な
ど目にするものは何でも全力で学ぶ対象にした。
「たとえぼくに明日はなくとも
たとえ短い道のりを歩もうとも
生命は一つしかないのだ
だから何かをしないではいられない」

精いっぱい真剣に生きる

正一君は実際には20歳より少し長く、23歳で生を終えた。17歳の時の著書「たと
えぼくに明日はなくとも」(立風書房)に、以上のような心の軌跡がつづられている。
この本は25年前に発行され、35刷と版を重ね3年前に絶版となった。在庫がまだ
あると聞き、取り寄せて読んでみた。少し古くなかった。
左門さんは、上智大 で開かれた「生と死を考える会」で「生きる意味と価値を求めて
」と題して講演したのだが、こうも語った。
「正一のような子どもに、いい学校、いい会社という一般社会の価値観は通用しない」
でも、健康な君たち中・高校生がいらだっていることも、実はそこなのではないだろう
か。
いい学校、いい会社が自分の人生を真に支えてくれるものではない、と君たちが感じ
ているとしたら、その方が正しいと思う。
変わらなければならないのは大人だ。
そうだとして君たちはどう生きるのか。正一君が限りある命を精いっぱい、真剣に生
きることに価値があり、学ぶ行為が自分にとって生きることだ、と見つけたように考
えてほしい。
「人間 この世に生まれてきた以上は
かならず何かの使命があって 生を受けているんだからね
けれども 何もしていないとすれば
それは生を受けていないことと同じなのかも知れないね」

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